小児外科医として豊富な経験を積んだ後、江戸時代から代々続く土岐医院を継承
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。

当院は江戸時代から代々この地で医業を営んでいて、祖父が5代目、父が6代目、私は7代目になります。
私が生まれた当時は、父も母も東京女子医科大学病院で勤務医として従事していましたが、母は私の出生地をここにするためだけに、父方の実家に帰ってお産をしたんだそうです。つまり、生まれた瞬間から「7代目」としての期待を背負っていたことになります(笑)。
医療が身近な環境で育ち、「祖父や両親のように医師になり、ゆくゆくは土岐医院を継ぐんだ」という気持ちは自然に芽生えていましたね。
小児外科を専門にされた理由を教えてください。
もともと、小学生の頃に読んだ手塚治虫原作の漫画「ブラックジャック」の影響で、外科医に強い憧れを抱いていました。ところが、進学した群馬大学医学部の実習で、子どもの成長や発達に関わることができる小児科にも魅力を感じてしまったのです。外科と小児科、どちらを選ぶかでとても悩んだのを覚えています。先輩医師にも相談する中、小児外科ならその両方の夢を叶えることができるのではないかと、その道を目指すことにしました。
小児外科医になるには、はじめに一般外科を専攻して外科医として十分な修練を重ねなければなりません。私の場合はまず、群馬大学医学部卒業後に同大学病院第一外科に入局し、胃がんや大腸がんなど消化器がんの外科手術やICUでの集中治療など幅広い経験を積みながら、技術と知識を身につけました。
その後は専門を小児に切り替え、群馬大学付属病院小児外科や群馬県立小児医療センターに勤務しました。腸などの内臓が腹腔外に飛び出す「鼠径(そけい)ヘルニア」、生まれつき腸がつながっていない「先天性腸閉鎖」、生まれつき肛門がつながっていない「鎖肛」などを中心に数多くの外科手術に携わり、さらに研鑽を積んできました。
一般外科は、手術によってたくさんの人命を救うことができる、やりがいのある現場です。しかし、がんが進行してしまった患者さんなどの場合は、たとえ外科手術に成功してもがんが再発してしまうこともあり、悔しい思いをすることがあります。一方で、先天性疾患を数多く扱う小児外科では、鼠径ヘルニアや先天性腸閉鎖など、たとえ重篤で危険な症状に見えたとしても、手術さえうまくいけば元気になれるものがあります。自分が手術を手がけた子どもが回復し、普通の子どもと変わらず元気に走り回る姿を見られるのは、小児外科医に許された特権ですね。
勤務医時代の一番の思い出として、私が先天性疾患の手術を担当した子どもが成長し、本人の結婚式に招待してくれた話があります。つながれた小さな命が、やがて幸せな家庭を築くまでになったことに感動しましたし、小児外科は未来につながる、やりがいのある分野だと改めて実感できました。
小児外科医として経験を積んだ後、7代目として土岐医院を継承されたのですね。
はい。父は60歳で長年勤めていた大学病院を辞め、こちらに戻り6代目として当院を継いでいました。当時は今の場所から300mくらい奥まったところにあり、大正時代に建てられた建物でかなり老朽化も進んでいましたね。
「いずれ父の後を継ぐ時には、建て替えが必要かな」とは考えていたのですが、私が勤務医として10年あまり経った頃でしょうか。この街道沿いの土地が売りに出されていて、妻から「今ここで決断しないと一生できないと思う」と言われたんです。父はまだ現役でしたし、私ももう少し手術経験を積みたいと思っていましたので、土地を買うなんて考えてもいなかったんですが……(笑)。これもいいタイミングなのかもしれない、と背中を押され、7代目を継ぐことを決意。2014年にこの場所で新たに開院いたしました。
院内には陽光がふりそそいで、居心地がよい空間ですね。
ありがとうございます。木のぬくもりが感じられる床や、天井が高く開放的な待合室、日当たりがよく明るい診察室など、患者さんに居心地のよさを感じてもらえる空間づくりを心がけました。
また、誰もが安心して利用できるように、駐車場から玄関、院内にいたるまで段差をなくし、トイレも広々とスペースをとるなど、バリアフリー設計にもこだわっています。

