大学病院で培ってきた高度医療の知識と経験を地域に還元し、貢献したいと開業を決意
はじめに、医師を志したきっかけを教えてください。
子どもの頃から絵を描いたりデザインをしたりするのが大好きで「将来は建築家になりたいな」と思っていました。ところが、高校に進学したとたんあまり勉強しなくなってしまって、、、特に、高校3年生の時は「大学に落ちたらみんなで予備校に行こうよ」という雰囲気で、親も呆れるくらい寝てばかりいて(笑)、案の定浪人し予備校に通うことになりました。
でも、そうなったことで自分の進路を見直す余裕ができたんです。建築家にこだわらず「人と接して、そして、役に立つ仕事がしたい」と真剣に考えるようになり、その時に浮かんできたのが祖父の姿でした。
私の祖父は耳鼻咽喉科の開業医で、子どもの頃の私はよく扁桃炎になって、そのたびに祖父に診てもらっていました。医師というのは、まさに「人と接して、なおかつ、その人の役に立つ仕事」です。祖父の働く姿を間近で見てきて医師という職業に馴染みがあったこともあり、医師になることを決意しました。
開業までの経緯や、耳鼻咽喉科を専攻にした理由を教えてください。
耳鼻咽喉科が対象とする耳、鼻、のどは、体の中でもとても複雑で繊細な部位なので、治療においても繊細な処置が多く、特に手術では精緻な手術手技が求められます。それは、私が当初目指していた設計・デザインの世界と通じるものがあるなと感じたのです。
また、子どもが好きで小児科医を考えた時期もあり、小さなお子さんを診ることも多い耳鼻咽喉科は自分に合っていると思いました。
しかも、私が入学した慈恵会医科大学は、日本の耳鼻咽喉科の発祥の地で、歴史と伝統があります。慈恵会医科大学の「慈(じ)」は、耳鼻科の「耳(じ)」と言われるくらい学内でも活気のある科目で、若い先生が中心となって、臨床に研究に活発に取り組まれているのを見て魅力を感じたことも耳鼻咽喉科を専門とする決め手になりましたね。
開業するまでの22年間、慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科医局に在籍し、耳鼻咽喉科領域の一般的な疾患の診断・治療からさまざまな症例の手術を多く行ってきました。
特に、耳鼻咽喉科専門医の資格を取得してからは、「めまい・平衡領域」という分野を専門とし、慢性中耳炎や真珠腫性中耳炎などに対する「中耳」の手術手技の研鑽を積みながら、めまい外来でメニエール病や良性発作性頭位めまい症、急性感音難聴などの治療に取り組んできました。
開業のきっかけや、この地に開院した理由を伺えますか?
現在、ほとんどの大学病院では専門領域が細分化されていて、外来の初診でみた色々な疾患の患者さんは各専門外来で治療を受けるようになっているため最後まで経過を診ることができず、自分の専門領域の診療が中心になっています。
大学での勤務年数を重ねるうちに、これまでに培った知識や経験を活かしてさまざまな疾患の診療に携わりたいという思いとともに、初診から病状が改善して「良かったですね」と言えるところまで、しっかり患者さんと向き合うスタイルで医療を提供していきたいという思いが強くなってきたのです。
また、大学病院という高度医療の現場に携わってきたからこそプライマリ・ケア(初期診療)の重要性も実感していて、それも開業の動機になっていますね。他の器官と同様に、耳、鼻、のども、病気の診断と治療が遅れればそれだけ重症化しやすく、症状やQOL(生活の質)改善のために手術などの高度医療が必要になってきます。かかりつけ医で適切な診断と治療が早めに受けられれば、場合によっては、重症化する前に治せる手段があるかもしれません。長い間、高度医療に携わってきた私の知識と経験を地域に還元し、貢献したいという思いから開業を決意しました。
そして、この「仙川」の地を選んだのには、慈恵会医科大学第三病院の医学生時代に、部活終わりに仲間とよく食事をしていて馴染みがあったことがあげられます。その頃からはだいぶ変わりましたが、人口が増えて活気もあるうえに、都心の喧騒から少し離れた緑豊かな街並みにも魅力を感じています。
院内は、車イスやベビーカーが入りやすいようにバリアフリーにして、診察室は広めに配置、授乳室も設けました。また、大学病院クラスで導入している空気清浄システムを設置し、ウイルス・細菌・花粉などを除去。コロナ禍ということもあり、毎日ハイパワーで稼働させて、清潔で安心して来院していただける環境づくりを行っています。