へき地医療の経験から形成外科の道へ、患者さんをトータルに診られる身近な専門医として開院を決意
はじめに、医師を志したきっかけを教えてください。
私が医師を目指したのは、高校生の時に虫垂炎で夜間診療を受けたことがきっかけでした。夜中に強い腹痛に襲われ、親に連れられ病院を救急受診したんです。その時、私は激痛のあまり過呼吸を起こし、とにかく酸素をいっぱい吸おうと必死に呼吸していました。けれども、呼吸すればするほど息苦しさは増し、さらに、手もしびれてきてパニック状態になってしまったんです。病院のスタッフから紙袋を渡され、「紙袋の中で呼吸をして」と言われた時には、「酸素が足りないのに、余計に苦しくなるじゃないか」と思いつつも、言われたとおりにしたら、どんどん呼吸が楽になり、手のしびれもとれてきて、、、。
いま考えれば当たり前のことなんですが、医学的知識が全くなかった高校生の頃の私には、この体験がとても面白く感じられたんです。そして、「もっと体の仕組みや医学のことを知りたい」と、医師を志すようになりました。
開院までの経緯と、形成外科を専攻された理由を伺えますか?
私が卒業した自治医科大学は、地域医療向上のため、全国の都道府県が共同で開設したという背景があります。そのため卒業生は、一定期間へき地医療に従事することが必須なんです。
へき地医療とはその名のとおり、へき地と言われる場所や離島で診療を行うことで、あらゆる症状や疾患に対応することが求められます。そのため、3年間の臨床研修では、内科、小児科、外科、整形外科、産婦人科、皮膚科、救命救急など全科に渡る診療科をローテーションで担当し、総合的な医学知識、医療技術を身に付けてきました。
その後、へき地医療を担うべく、東京都の小笠原諸島や利島、三宅島、神津島に赴任。離島では、医師が1人〜数人と少なく、ほとんどすべての診療科を担当し、さまざまな病気を診てきました。大変でしたが、「先生のお蔭で助かった。本当にありがとう。」と、住民から感謝のお言葉もたくさんいただき、やりがいがありましたね。
なかでも、縫合が必要な外傷の患者さんに対して、その場で外科治療をおこなった時に「救われた」と感動される方が多くいらっしゃいました。というのも、東京都の離島では、島で対応できない病気やケガの場合、東京消防庁や海上自衛隊の協力のもと、本土にある病院にヘリコプターで搬送する必要があるのです。ヘリ搬送になれば、患者さんやご家族の負担がとても大きいので、島内で処置できるということが島民にはとても心強かったようです。
その経験がきっかけで、「離島でも対応できるように、もっと外科のスキルを磨いていきたい」と、形成外科を専門にすることを決意しました。本土に戻ってからは、東京女子医科大学病院や関連病院の形成外科で、小さなできものを切除する手術から、外傷やがん手術などによって失われた顔面や体の修復をする大規模手術まで、身体の表面に関するあらゆる外科症例を経験、研鑽を積んできました。
開院を決めたきっかけや、この地を選んだ理由があればお聞かせください。
形成外科医として勤務すること10数年、培ってきた外科的スキルを活かしながら、自分の原点でもある離島でおこなっていた総合診療を、今度は本土でやっていきたいと考えるようになり「飛田給プライマリクリニック」を開院するに至りました。
そして、この場所を選んだのには「調布飛行場」が近いことがあげられます。東京都の離島の往来は船便と空路がありますが(小笠原諸島は船便だけですね)、空路の場合は調布飛行場を利用します。そのため、外傷などで外科治療が必要な離島の患者さんが、来院しやすいというのが魅力でした。
実際、神津島や利島など離島の患者さんも多く来院されています。症状にもよりますが、午前中に島を飛び立って診療・処置を受けて、午後に帰島されることもできるんですよ(笑)。これは今までの離島の常識からすれば画期的なことなんです。