整形外科医を主人公とする小説をきっかけに医師の道へ。地元での開業で地域医療に貢献
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

父は医師ではないものの大学病院に勤務しており、親戚にも医師が多かったため、医療が身近な環境で育ちました。しかし、幼い頃から医師を目指していたわけではありません。理数系が得意だったことから理工学部を受験しましたが、浪人することに。その浪人時代に渡辺淳一の小説『白夜』を読み、整形外科医として生きる主人公の姿に感銘を受け、医師という職業への強い関心が芽生えました。
先生が整形外科を専門に選ばれたのも、その小説の影響でしょうか?
もちろん、それも大きな要因ですが、決め手となった理由が二つあります。
一つ目は、手に職をつけられる外科に惹かれたこと。大学の臨床実習で整形外科の診療や治療の現場を目の当たりにし、自分の適性に合っていると実感しました。二つ目は、整形外科は命に関わる疾患が比較的少なく、治療や手術によって患者さんの症状が目に見えて改善するケースが多いこと。その変化を直接感じられる点に、大きなやりがいを見出し、整形外科の道を選びました。
これまでのご経歴と、携わってこられた主な疾患や症例について教えてください。
山梨医科大学(現・山梨大学医学部)を卒業後、国立横浜病院(現・横浜医療センター)での研修を経て、横浜市立大学整形外科に入局。以降、関連の基幹病院や三島市にある三島中央病院に勤務し、捻挫や骨折といった外傷から、膝・腰・脊椎・股関節の疾患まで、整形外科疾患全般にわたり幅広く経験を積みました。
2004年からは横浜市立大学整形外科教室の助手として勤務し、専門である膝や足の疾患を中心に診療を行いました。さらに、人工膝関節置換術や関節鏡を用いた手術などにも携わり、専門的な知識と技術を磨いてきました。
そして、2021年に貴院を開業されました。どのような想いから開業を決心されたのでしょうか?
2006年から3年間、国際医療福祉大学熱海病院に勤務した後、横浜市立大学整形外科の医局を退局しました。ちょうどその頃、子どもが生まれたこともあり、自然が豊かで子育てのしやすい静岡県に移住し、市中病院で勤務医として診療を続けていました。
しかし、高齢の親のことが気がかりになり、地元の川崎市に戻ることを決意。このまま勤務医を続けるか、それとも開業するかを考えたとき、せっかく川崎に帰るのであれば、生まれ育った土地で地域医療に貢献したい——その想いが強まり、開業を決意しました。
