心臓血管外科で培った経験を礎に、血管外科と形成外科の視点を生かして足と血管を診る医療へ。早い段階から相談できるクリニックを開く
はじめに、花田先生が医師を志したきっかけから教えてください。

医師を目指した入口は、両親の勧めでした。私が生まれた頃から、将来は医師になってほしいという思いがあったそうです。私自身も、「まず医師免許を取り、そのうえで自分の道を考えてもいいのではないか」という両親の言葉の中で育ったので、医学部への進学はとても自然な選択でした。もちろん、若い頃にはほかの仕事に憧れたこともありました。ただ、山口大学医学部で学ぶ中で、医療の持つ力や責任の大きさに次第に惹かれていきました。
卒業後は心臓血管外科に入局されていますが、どのような理由から決められたのでしょうか?
医学生のとき、臨床実習で心臓血管外科の手術を見学したことが大きなきっかけでした。大動脈弁閉鎖不全症の手術で、執刀医の先生の手によって、弱っていた心臓が再び力強く拍動し始める様子を目の当たりにし、強く心を動かされました。
手術によって命に直接関わり、人を支えることができる。そのことを実感し、心臓血管外科の道に進みたいと考えるようになりました。
これまでのご経歴について教えてください。
山口大学第一外科に入局後は、済生会下関総合病院や愛媛労災病院などの基幹病院で経験を積みました。狭心症や心筋梗塞、心臓弁膜症など心臓血管疾患の診療に携わり、手術だけでなく、周術期管理やICU(集中治療室)での全身管理も含めて学びました。
大学医局では、手技そのものに加えて、正確さやスピード、判断の厳しさ、医師としての姿勢も徹底して鍛えられ、その経験は現在の診療の土台になっています。
山口大学には約6年間在籍し、その後、ライフステージの変化を機に一度キャリアを見直し、静岡県の有隣厚生会東部病院に入職しました。
静岡の病院に移られてから、足の病気や血流障害の診療に本格的に取り組まれるようになったのですね。
勤務先の病院には透析患者さんが多く、下肢の動脈硬化による血流障害や神経障害のために、潰瘍や壊疽を生じる方も少なくありませんでした。そうした患者さんを診る中で、足の病気は局所だけの問題ではなく、その方の移動や生活、ひいては人生そのものに深く関わるのだと強く感じるようになりました。
ちょうどその頃、私は聖隷浜松病院で形成外科のトレーニングも受けていました。血管外科は血流の再建を担い、形成外科は傷を治し、残された足をどう守るかを考える。実際の現場では、その両方の視点が必要だと感じ、足の病気をより総合的に診る診療に取り組み始めました。
当時は、膝下の血管病変や難治性の足潰瘍に対して、今ほど多様な治療の選択肢が十分に共有されていない場面もありました。けれど、足を失うことは患者さんの生活に大きな影響を及ぼします。だからこそ、できる限り足を守り、その先の暮らしを支えたいと考え、血管外科と形成外科の連携に加え、義肢装具士にも協力をお願いしながら診療体制を整えていきました。
最初から順調だったわけではありませんが、多くの方に支えていただきながら少しずつ形にしていくことができました。患者さんが喜んでくださる姿が、何よりの励みでした。
血管外科医長やフットケアセンター長を務められた後、開業を決意されたのはどのような思いからでしょうか。
足の病気は、早い段階で適切に対応できれば、その後の経過が大きく変わります。けれど実際には、「足の違和感くらいで受診してよいのだろうか」「こんなことで病院に行ったら申し訳ないのではないか」と受診をためらわれる方が少なくありませんでした。病状が進んでから初めて出会う患者さんを前にするたびに、もっと早い段階で、もっと患者さんに近い場所で支えられたらという思いが強くなっていきました。
また、総合病院には安全性や連携のために必要な手順がある一方で、診療を進めるまでに時間を要する場面もあります。そうした中で、足や血管の異変を感じたときに、より早く相談でき、必要な医療へ速やかにつなげられる場をつくりたいと考えるようになりました。そうして2021年に、富士 足・心臓血管クリニックを開業しました。

