「人と接したい」と外科医に。大学病院でがん治療のエキスパートとして研鑽を積んだ後、静岡市に開業
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。

実は、最初から医師を目指していたわけではありません。もともとは工学部の建築系学科に進み、建築製図に取り組んでいた時期もありました。製図を書く作業や友人には恵まれ楽しい大学生活を送る中、なにかしらしっくりこない自分があったようです。
「やはり、対人で心の通った仕事がしたい」―そう考えるようになった頃、もともと関心のあった医学の道、「医師になろう」と決意。再受験を経て、栃木の獨協医科大学に進学しました。
先生は外科を専門にされていますね。さまざまな診療科の中から外科を選んだ理由を教えてください。
学生時代は、将来的に開業し地域の方たちとコミュニケーションをとっていこうと考え、眼科、整形外科を志望していました。しかし、研修医としてさまざまな診療科をローテーションする中で、外科の現場で働く医師たちの生き生きとした姿に強く惹かれたのです。さらに、投薬ではなく自らの手をもって人の内臓に直接触れ、命をつなぐ手術という外科ならではの経験に魅力を感じたことが大きな理由ですね。
開院されるまでのご経歴をお聞かせください。
岐阜の大垣市民病院で研修医として4年間、基礎をしっかりと学んだ後、東海市民病院(現・西知多総合病院)、稲沢市民病院を経て、名古屋大学医学部附属病院の第1外科(現在の消化器・腫瘍外科)に入局しました。
専門は主には消化器がん。胃がん・大腸がん・乳がんといった多くのがん治療に携わり、豊富な手術経験を積んできました。名古屋大学医学部附属病院は高度な技術を誇る医療機関の一つで、なかには、12時間を超える肝胆膵関連の外科手術を行っております。手術を行うには、高血圧・糖尿病・心臓疾患など、患者さんが抱える持病をしっかりと把握していないといけません。こうした高ストレス状態の術前・術後の全身管理に真摯に取り組んできたことが、「専門領域の枠を超えて患者さんの全身を診る」という現在の診療スタイルへとつながっています。
外科医として第一線で活躍されてきた先生が、開業医に転身されたのはどうしてでしょうか?

大学病院や基幹病院で15年以上にわたり、外科医として朝から晩まで診療に従事し、高度な医療技術や知識を習得できたことは、私にとってかけがえのない財産です。多くのがん患者さんの生死に向き合う中で、ご本人やご家族と築いてきた切実な関係も、今の私を支える大きな糧となっています。
長年の勤務医経験を通じて、自分自身の成長を実感する一方で、「自分の裁量の中で理想とする医療を追求したい」「それを実践できるだけの力が自分にあるか試してみたい」という思いが次第に強くなりました。その思いを実現する場として、開業という道を選びました。
そして2015年に貴院を開業されました。開業場所として静岡市を選ばれた理由を教えてください。
私は愛知県出身ですが、名古屋大学医学部附属病院から静岡厚生病院に派遣されたことをきっかけに、初めて静岡市で暮らすことになりました。そこで出会った環境や街の雰囲気、そして住んでいる方々の温かさに強く惹かれ、「ずっとここに住みたい」と思うほど、この地を気に入りました。
この静岡市で、地域に根ざし、一人ひとりに寄り添った医療を提供しながら、患者さんと長期的な信頼関係を築いていきたい――そう考えたことが、開業地として静岡市を選んだ理由です。
