臨床医としてのやりがいを自覚。少しでも長く地域と患者さんに寄り添うため、開業を決意
医師を志したきっかけを教えてください。
中学生くらいの早い段階で医師の道を志していました。身内を病気で亡くす経験があり、「自分もいつか同じ病気になるのではないか」とか「自分が医者になれば救えたのではないか」といった恐怖心や正義感がきっかけだったと思います。
どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。
本を読むのが好きでした。特に探偵ものの推理小説がお気に入りで、コナン・ドイルや江戸川乱歩の小説を読み耽った記憶があります。
また、落語も好きで、医師以外であれば落語家への憧れがありました。父親に寄席にも連れて行ってもらったのを覚えています。
医師が症状や検査結果などの証拠を積み重ねて疾患を推定するのは、探偵小説の推理に通じるものがあります。
また泌尿器関連の病気では、人には話しづらい悩みを抱えている患者さんも多く来院されます。噺家さんのように、ときにユーモアも交えながら、わかりやすく症状への対応や治療法を説明するのも、私の大切な役目だと考えています。
幼いころから好きだったことが、今の仕事にもつながっていることは、大変幸せです。
医師になられた後は、どのような経験を積んでこられたのでしょうか。
浜松医科大学を卒業した後は、泌尿器科医として同大学の附属病院や県内の総合病院に勤務しました。膀胱炎や尿路結石、前立腺肥大や過活動膀胱、泌尿器がんなどのほか、血液透析や腎移植に至るまで、幅広く臨床経験を積んできました。
若いころは手術が好きで、技術を磨きたい気持ちが強く、病院時代には積極的に手術に携わりました。なかでも、膀胱腫瘍や前立腺肥大症などの治療で行われる、外尿道口から内視鏡を挿入して電気メスで切除する「経尿道的手術」に数多く携わり、研鑽を積んできました。
アメリカ留学も経験されたと伺いました。
一度しかない医師人生、研究者としての自分の可能性も試してみたいと思っていました。ちょうどそのタイミングで研究留学のお話をいただき、アメリカのノースカロナイナ州にあるウェイクフォレスト大学の研究室で2年間、がん抑制遺伝子の基礎研究に携わりました。
そこから、開院に至るまでの経緯をお聞かせください。
アメリカ生活はとても充実していました。アメリカで体験したサマータイム制は、当院の早朝スタートにも影響しています。研究中に痛感したのは「自分は、やはり臨床家」なのだということ。研究の成果をどうすれば実臨床にフィードバックできるか、を常に考えていました。発想があくまで患者中心であること、これが研究者としての自分の限界でしたし、また同時に臨床家としての長所であることが分かりました。
帰国後、すぐに開業を目指したわけではありません。再び勤務医として病院で働くうちに、「患者さんと距離の近い医療こそ自分に向いている。1日でも長く臨床医として、より良い医療を提供していきたい」という想いが強くなりました。
異動も定年もなく、長いスパンで患者さんに向き合うことができる開業を決意し、2018年「せせらぎ泌尿器科診療所」を開院するに至りました。