消化器内科医である父の背中を見て医師を志し、大腸・肛門外科領域で豊富な臨床経験を積む
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
僕が小さい頃から、父がこの中田医院の2代目として地域医療に携わっていましたので、自分も自然に医学の道に興味を持つようになっていましたね。自宅は医院とは別のところにあったので、父が医師として仕事をしているところを毎日目にしていたわけではありませんが、自分が体調を崩した時には「お医者さん」として診てもらい、普段と違う姿に憧れを抱いた記憶があります。
これまでのご経歴をお聞かせください。
東京医科大学を卒業後、埼玉県の戸田中央総合病院に初期研修医として勤務。父が消化器内科医でしたので、漠然とですが自分も内科系に進もうかと思っていましたが、さまざまな科をローテーションする中で外科に興味を持つようになったんです。
自分の肌に合うなと感じることも多く、「外科をしっかりマスターすれば、結果的に内科診療のスキルも身につくよ」という教授からの助言もあり、外科を専攻にすることを決めて都立大塚病院で3年間の後期研修を行いました。指導医、先輩方からの熱心な指導と、同期との切磋琢磨の毎日で、必死に知識・技術の習得に励んだ3年間は、自分の医師としての原点といえる非常に濃密な時間だったと思います。
後期研修修了後は、新大久保にあるJCHO東京山手メディカルセンターに勤務し、大腸・肛門治療の最前線で経験を積んできました。
JCHO東京山手メディカルセンターの大腸・肛門外科は、長い歴史があり、全国でも有数の病院ですね。
おっしゃる通りです。「隅越(すみこし)分類」という日本独自の痔の分類があるのですが、この分類を考案した隅越先生が、「外科診療の一角に肛門出血を主訴とする患者さんを集めてみよう 」という発想から、1960年、現在のJCHO東京山手メディカルセンター(旧社会保険中央総合病院)に「肛門センター」を発足されました。
当時、総合病院の中に「センター」として肛門疾患を診療する形態は特殊で、全国から患者さんがいらっしゃっていましたが、肛門の症状や便の異常を訴える患者さんの中には大腸疾患の方も少なくなく肛門と大腸を切り離すことはできないと、1975年、「大腸肛門病センター」と現在の名称に変わり、肛門疾患だけでなく大腸の病気にも注力する科になって今に至ります。
大腸・肛門外科医としてのベースはここで育まれた、ということですね。
そうですね。お話した通り全国から、痔をはじめとする肛門疾患や大腸がんなどの大腸疾患の患者さんが来院されていましたので、さまざまな症例に携わり研鑽を積んできました。難病に指定されているクローン病や潰瘍性大腸炎などの炎症性腸疾患を専門的に診る内科の先生も多く在籍しており、内科的治療が難しくなった時には連携して外科的治療を行うことも少なくありませんでした。
いずれは地元に戻って、父と一緒に地域の方々のために働きたいと考えていましたので、幅広い疾患の知識や繊細な手術の技巧を習得するために、無我夢中で患者さんと向き合う日々でしたね。JCHO東京山手メディカルセンターに勤務していた6年間で、開腹手術や腹腔鏡手術の腕を磨くだけでなく、診断、内視鏡の挿入技術、他科との連携など、様々な面で医師として成長することができたと思います。
陽光がふりそそいで、とても温かみのあるクリニックですね。
ありがとうございます。建物の老朽化が進んでいたので、2022年、私が中田医院に入るタイミングで移転新設しました。
院内は、天井は吹き抜けにしたり、木材をふんだんに使ったりと、患者さんにくつろいでいただける空間になるように工夫しました。おかげさまで、患者さんからも「明るくて開放的で居心地がいい」と好評をいただいております。