地域に根差して60年。祖父の代から続く医院を継承し、整形外科と循環器内科の2診体制へ
はじめに、貴院の成り立ちを教えていただけますか?
当院は、1962年に母方の祖父が内科の「原田医院」を開院したのがはじまりです。その後、1996年に父が二代目院長を継承した際に「北陽クリニック」と改名し、整形外科・リハビリテーション科・リウマチ科のクリニックとして長年にわたり診療を行ってきました。2023年4月から私が常勤として加わり、循環器内科と整形外科の2診体制になりました。そして2024年2月に移転し、新たに開院するに至ります。
先生が医師をめざしたのは、やはりおじいさまやお父さまの影響ですか?
そうですね。両方の影響を受けていると思います。祖父は循環器の医師として、父は整形外科の医師として、地域のみなさんに頼りにされている姿を見て育ちましたので、「自分も医師になって地域の方々の役に立ちたい」という思いが自然と芽生えていました。北里大学医学部へ進学し、卒業後はそのまま同大学病院の循環器内科に入局しました。
循環器内科を専攻されたのは、どういった理由からでしょうか?
心臓や血管に関わる疾患は、患者さんの容体が急変することも多く、迅速な対応が求められます。例えば、心筋梗塞のような重症度、緊急性が高い疾患は一刻を争いますから、「後で相談しよう」など悠長なことはできません。そういったときに医師としてきちんと処置できるようになっておけば、どんなときも落ち着いて患者さんに対応することができるだろうと考えました。
強い緊張感や責任感を伴いますが、そのとき、その場で適切な治療を行うことで、命の危険にさらされた患者さんを救うことができます。そこに大きなやりがいを感じたことが循環器内科を専攻した理由です。
北里大学病院や島根大学付属病院では循環器内科で助教の職責も担われてきたと伺いました。どのような疾患を診療してこられたのでしょうか?
北里大学病院をはじめ、町田市民病院、静岡市立清水病院などの関連病院に勤務し、急性心筋梗塞や狭心症といった心疾患に対する治療、心不全の緩和ケアなど、循環器領域の診療を幅広く経験し研鑽を重ねてきました。
大学病院では、患者さんの多くは症状が重篤な状態で救急搬送されてきます。まず急性期の初期治療で救命することが第一ですが、それを乗り越えた患者さんが退院するまで、一貫してケアを行います。病気の再発や悪化を防止するためには、生活習慣の改善や薬物治療を継続してもらうことが重要ですので、患者さんの家庭環境や経済的なバックグラウンドも考慮しながら治療にあたっていました。より患者さんの近くで診療するようになった現在も、こういった配慮は欠かさないように心がけています。
勤務医として忙しくも充実した毎日を送っていましたが、「将来的には祖父と父が守ってきたクリニックを継ぎ、地元に貢献したい」という思いは常にありました。2016年に子どもが生まれたこともあり、島根大学付属病院の循環器内科に移って約7年勤務した後、2023年4月に当院に入職しました。