父と同じ医師の道へ。単身、大都市圏の医療現場で腕を磨いた日々
最初に、先生が医師を目指したきっかけやご経歴からお聞かせください。
父が医院を開業し、住居が隣という環境で生まれ育ちましたが、医師になるように言われた記憶はありません。ただ、医師の仕事はやりがいのある仕事だ、とはよく聞いていた気がします。苦労はあっただろうと今なら分かるのですが、仕事に対する愚痴も聞いた記憶はありません。そのため医師の仕事はいいものなのだなあ、と子供心に思いながら育ちました。また長男でしたので、この医院が続いていくためには自分が継承しないといけないな、ということはぼんやり考えていたように思います。そういったこともあって医師を志すようになると同時に、医師になった後いつかは地元に戻ろうと思っていました。
地元の高校を卒業後は2005年に東海大学医学部を卒業し、東京女子医大第二外科に入局しました。消化器を専門とする外科に入局したのは、父の専門が消化器外科であったこともそうですが、腹部の疾患を幅広くみられると考えたからです。大学病院や朝霞台中央総合病院(現TMGあさか医療センター)などの関連病院で消化器外科医として働いた後、最終的には森山記念病院大腸肛門外科で地元に戻る2022年まで消化器疾患、特に肛門科疾患および上下部内視鏡検査の研鑽を積みました。森山記念病院では診療以外のことでもたくさんの学びがありました。ここでの経験は医療人としての現在の自分を形作る上で欠かすことのできない重要なパーツになっています。
現在、先生がお持ちの専門医資格の数々は、勤務医時代に取得されたものですね。
はい、その通りです。大学の医局に入局してからは毎日が勉強の連続でした。院内で先輩を見習い、同僚と腕を競い合うようにしながら、消化器がんをはじめとする消化器領域の疾患の検査から手術、術後の管理まで研鑽を重ねてきました。とはいえ、頭の片隅には常に地元のことがありました。そのため外科の修練の傍ら、消化器病専門医や内視鏡専門医など開業してから特に必要だと考えた専門医資格を意識して取得してきました。
特にどのような技術が役立っていますか?
自分は外科医として胃や大腸の手術に携わっていた頃から内視鏡、特に大腸内視鏡に興味がありました。手術より大腸内視鏡をやっているときのほうが生き生きしていたと思います。先輩医師からは「それは外科の本分ではない」と言われたりもしましたが、全く気になりませんでしたね。おっしゃる通り、と(笑)。先にも述べました通り、自分はいずれ実家に戻るつもりでしたから。何とか内視鏡の診断力や技術を習得しようと機会を見つけては研鑽を積みました。そのため内視鏡検査は当院としては特に力を入れている分野の一つです。私が当院に入職してからは、検査室も拡充して対応しています。特に患者さんの苦痛に配慮した挿入を心がけており、鎮静下での内視鏡も可能です。
また、前述の森山記念病院では、肛門疾患の大家である中島康雄先生にご指導いただく幸運にも恵まれました。そのため肛門疾患診療も内視鏡検査と同様に当院の診療の柱の一つになっています。加えて、消化器外科で研鑽を積むなかで救急の当直もたくさんしましたので、急性腹症など腹部の救急疾患の診療経験は豊富だと思います。