生まれ育った故郷を守るために医師に。医療過疎化に歯止めをかける一翼を担う
はじめに、医師を志したきっかけと、糖尿病を専門とした理由をお聞かせください。
祖父と父が、代々この場所で開業医として地域住民の健康を支えていましたので、三代目として私が医院を引き継がないと地域医療が廃れ、この町自体も廃れていくのではと、危機感を感じていました。生まれ育った故郷がなくなるのは困るな、と。そんな思いから医師を志しました。
私も、祖父や父と同じ外科医を目指すつもりだったのですが、研修医のときに救急外来を経験して、考え方が変わりました。救急外来では、脳梗塞や心筋梗塞、肺炎で運ばれてきたものの、治療の甲斐なく亡くなってしまったり、後遺症が残って体が不自由になってしまったりする患者さんが多かったんです。後で聞くと、そうした患者さんの多くに基礎疾患として糖尿病があり、それがかなり悪い状態だったと聞いて衝撃を受けました。糖尿病の管理がもっとしっかりできていたら、こんなかたちで亡くなったり後遺症が残ったりすることはなかったんじゃないか、そう考え糖尿病を専攻することを決めました。
三代目院長を引き継ぐまでのご経歴を教えてください。
埼玉医科大学医学部を卒業後、同大学病院と藤田医科大学ばんたね病院で前期研修を、中部ろうさい病院で後期研修を受けました。そのまま中部ろうさい病院の糖尿病・内分泌内科に勤務し、糖尿病の診断、検査、治療、管理まで一貫して携わってきました。同病院は、特に、チーム医療に力を入れており、私が担当する糖尿病対策においては、治療や血糖管理だけでなく、発症前の予見・予防にも取り組み、看護師さんをはじめとする他職種との連携など、多くの知見を得ることができました。
その後、糖尿病や腎臓病などの治療に注力する織本病院(現・きよせ旭が丘記念病院)のメディカルセンター長などを務めた後、地元に戻り三代目を引き継ぎました。
2017年にこの新庄に戻られてから、糖尿病の啓発活動に力を入れていると伺いました。
地元に戻ってきて驚いたのが、都市部との医療格差でした。この地域もご多分に漏れず医師不足が顕著で、たとえば、眼科クリニックは1施設しかありませんし、呼吸器専門のクリニックはありません※1。
糖尿病診療についても、市内に山形県立新庄病院という基幹病院はあるものの、常勤の糖尿病専門医はないという状況でした。そのためか、地域の皆さんの糖尿病に対する意識も高くなく、2019年5月の調査※2で、「新庄市は、糖尿病で受診する人が少なく、腎症などの合併症が起きてから治療を受ける人が多い」という状況が起きています。
「地域の皆さんの健康寿命を延ばし、QOL(生活の質)を高めるためになんとかしなければ」と、私のヴァイオリン演奏付きの出張糖尿病教室を開いたり、コミュニティーFMラジオ(あすラジ)の「サンライズ小内のZAKZAKざっくばらん」という番組でパーソナリティーを務めて糖尿病の情報を発信したりと、地域の皆さんに糖尿病に対する意識を高めてもらおうと啓発活動に積極的に取り組んでいます。
※1 2023年4月現在
※2 出典:第2期新庄市保健事業実施計画(データヘルス計画)〜中間評価〜(令和3年3月新庄市健康課)「糖尿病レセプト分析」より
https://www.city.shinjo.yamagata.jp/s009/100/datahealthtyu-kanhyoukasiryouhenn.pdf