陸上選手時代にケガに苦しんだ経験から、スポーツ医学に関わりたいと整形外科の道へ
はじめに、整形外科医を志したきっかけをお聞かせください。
私は小さい頃からスポーツが大好きで、高校時代は陸上部に所属していたのですが、足のケガや腰痛が原因でタイムが伸びず、悔しい思いをすることがありました。整形外科に通う機会も多く、スポーツ選手にとってケガを治すことがいかに大事かを痛感し、スポーツ医学に興味を持つようになったのです。山崎豊子さんの「不毛地帯」を読んで商社マンに憧れていた時期もありましたが、自身のそうした経験から医学の道に進むことを決めました。
富山医科薬科大学医学部(現・富山大学医学部)に入ってからはサッカーやスキーに打ち込んでいたこともあり、「スポーツ医学に関わりたい」という気持ちは変わらず持ち続けていました。他の診療科からの誘いもあったのですが、研修の際に整形外科の先輩が楽しそうに働いている姿が印象的だったことも後押しとなり、整形外科の道に進みました。
開院されるまでのご経歴をお聞かせください。
大学卒業後は地元に戻り、横浜市立大学医学部で初期研修を受け、そのまま同大学院に進み、医学博士を取得しました。その後、1993年から2年間、アメリカのクリーブランドクリニックに留学し、骨の細胞移植による難治性骨折の治療をテーマに研究に従事しました。多くの研究機関を有し世界中から優秀な医師、研究者が集まるクリーブランドクリニックでの研究は大きな学びとなりました。
帰国後はその知見を基に横浜市立大学付属市民総合医療センターやいくつかの基幹病院で整形外科の勤務医として、脊椎や人工膝関節、人工股関節の手術、スポーツ外傷の診療などに携りました。日本整形外科学会整形外科専門医の資格を取得し、リウマチや運動器リハビリテーション、義肢装具についても研鑽してまいりました。
そして2002年に開院されたのですね。どのような想いから開業を決心されたのでしょうか?
相模原市は私の地元です。「いつかは地元で開業したい」という思いはありましたが、当時は地域の中核病院で医長を任され、やりがいもありましたので、「開業はもう少し歳を重ねてから」という気持ちでいました。ところが39歳の時に、たまたまこの土地と出会ったことで、具体的に開業を検討することになりました。「時期尚早かもしれない」と思う一方、より地域に密着し、患者さんの利益を第一に考えた診療に取り組みたいという思いが膨らみ、開業することを決めました。