内科・外科・消化器内科のエキスパート3医師がタッグを組み、一般内科から肛門外科、内視鏡外科、消化器の専門科目まで幅広く診療する有床クリニックを運営
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
【川上院長】子どもの頃、よく風邪をひいては近所のクリニックでお世話になることが多かったんです。その先生に診てもらうと体調が良くなって…。それが嬉しくて、次第に医師という職業に憧れ、自分も医師になろうと医学部に進むことを決めました。
【仲地医師】私の家は代々医師の家系で、父も耳鼻咽喉科医院を開業していました。小さい頃から父の働く姿を間近で見ているうちに自然と医師を志すようになっていましたね。
川上院長は外科、仲地先生は消化器内科がご専門ですが、どのような理由で専攻されたのでしょうか?
【川上院長】実は、最初に入局したのは泌尿器科だったのですが、配属された病院で外科手術を手伝ううちにその魅力に引き込まれ、専攻を外科に変えました。外科は、治療の効果が見えやすいことに加えて、基礎から高度な応用技術まで段階的に手術手技を習得することができます。自分の腕を磨くほど、より多くの患者さんの治療に貢献できることに醍醐味を感じました。
【仲地医師】私は、研修医のときに初めて触った内視鏡に興味を引かれて、それ以来、消化器内視鏡の技術と専門性を追究してきました。内視鏡は、消化管の内部を直接見ることができる上に、お腹を切らずに切除することもできます。患者さんの体に負担の少ないかたちで詳しい診断や治療まで行えるところに魅力を感じたことが専攻した大きな理由ですね。
開業医に転身されるまでのご経歴を教えてください。
【川上院長】琉球大学医学部を卒業し、泌尿器科を退局した後、同大学医学研究科に進んで学位を取得しました。その後、沖縄協同病院に勤務し、食道から直腸・肛門までの主に消化器疾患の検査と診断、開腹術や腹腔鏡を用いた外科治療に携わってきました。特に、近年は、鼠径ヘルニアや痔核・痔瘻・裂肛などの肛門疾患の診療に力を入れ、診断技術と手術手技を磨いてまいりました。
【仲地医師】私も琉球大学医学部を卒業しており、川上院長と院長の奥様とは同級生なんです。私は卒業後、同大学の第一内科に入局し、琉球大学病院や民間病院で研鑽を積み、消化器内視鏡の検査・診断・治療を含めた消化器疾患全般の診療に携わってきました。途中、1998年2月から2年数か月間、カナダとアメリカの大学に留学し、ピロリ菌関連の基礎研究にも取り組みました。2002年4月から2024年6月まで那覇市立病院に22年間勤務し、消化器がんの早期発見や内視鏡治療を行ったり、外科や耳鼻咽喉科と連携して身体への負担の少ない縮小手術を目的とした内視鏡治療にも力を注いできました。現在も、那覇市立病院で内視鏡診療に関する若手の育成に取り組んでおります。
川上院長は、沖縄協同病院で外科医長や同消化器センター長の要職に就かれていましたが、貴院の理事長・院長に就かれたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
【川上院長】当院は、もともと私の妻・川上祐子医師の父親が運営していた有床の脳神経外科クリニックです。高齢になってきた義父から「そろそろ引退したい」と言われまして、2020年4月に私が引き継ぎました。義父とは専門が異なりますので、「友寄クリニック」と名称を変更し、19の病床数はそのまま維持しながら、私が専門とする外科、祐子医師が専門とする内科と消化器内科に診療内容を変更しています。
2024年7月からは、非常に高い技術が求められる「大腸の内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)」を得意とし、消化器内視鏡のエキスパートである仲地紀哉先生にも加わっていただきましたので、消化器内視鏡検査・治療の充実も含め、診療内容をさらに拡充しています。
仲地先生も、那覇市立病院で内視鏡センター長を務められるなど重責を担っておられましたが、貴院に入職されたきっかけをお聞かせください。
【仲地医師】消化器内視鏡による検査や治療を中心に専門性を追究する中で、次のキャリアを考えたときに、地域の皆さんにより近い場所で地域医療に貢献していきたいと思い、仲間に入れていただくことにしました。これまで培ってきた内視鏡検査・治療の知見や技術をフルに発揮して、より多くの患者さんの健康維持のお役に立ちたいと考えています。