「社会に貢献したい」という想いから医師を志す。25年にわたる高度医療の知識と経験を生まれ故郷で役立てたいと開業
はじめに、医師を志したきっかけと、野村先生のご経歴をお聞かせください。
医師になろうと思ったのは大学受験を控えた頃です。「社会に貢献できる仕事をしたい」と考え、行き着いたのが医師という職業でした。私は、生まれも育ちも高松市ですが、大学は徳島大学医学部、同大学院医学研究科に進み、卒業後は附属病院の第二内科(当時)に入局しました。今でこそ同大学病院の医局は臓器別に分かれていますが、当時の第二内科は循環器内科と消化器内科が一緒になっている医局で、全国でも珍しかったようです。
この第二内科で研修医として虚血性心疾患などの心臓病や、胃がん、大腸がんなどの消化器疾患の診療について幅広く研鑽を積み、多角的な視点に立って診察することの重要性を学びました。その後、医局から派遣され国立高知病院内科に勤務しました。高知病院は、地域の基幹病院でしたので、内科医として一般的な内科疾患から、がんを始めとする専門的な検査や治療が必要な患者さんまで、さまざまな疾患の診療にあたっていました。
その後、米国にも留学されたそうですが、どのような研究をされたのですか?
ニューヨーク大学医療センターで、脳神経分野のアルツハイマー病について研究しました。帰国後は、徳島大学医学部附属病院第二内科に戻って2006年まで勤務し、第二内科副科長、循環器内科科長、徳島大学大学院の教授も務めさせていただき、非常に多くの経験を積むことができたと思っています。
大学病院で重責を担ってこられた野村先生が開業医に転身されたのには何かきっかけがあったのでしょうか?
約25年間、徳島大学医学部附属病院で内科一般、循環器内科、消化器内科で診療・研究・教育に携わり、病気予防や増進に関わる健康科学にも取り組んできました。50歳を超え、年齢的にも人生の節目を感じたときに、これまで培ってきた知見や医療技術を生まれ育った地域の皆さんに還元し、健康増進に貢献していきたいと思ったのが理由でしょうか。2008年に故郷の高松市に戻って当院を開業し、現在に至ります。
開業されて16年、患者さんからの評判はいかがですか?
朝8時から夜8時まで開院していて、さらに土曜日午後と日曜日午前中も診療しているクリニックはほとんどないので、そういった点では喜んでいただけていると思います。会社や学校に行く前に来院される患者さんや、土日に急な発熱などで診てほしいと駆け込んでこられる患者さんも多いですよ。
あとは、開院当初から、患者さんに「本日の診療所見」という診療内容のレポートをお渡ししています。日々の体調変化を患者さん自身で把握していただくためのものですが、実際に「治療や健康管理に役立てています」とおっしゃってくださる患者さんもいて嬉しいですね。