苦しむ子どもを助けたいと小児科医の道へ。発達障害の診療や寝たきりの子どものケアまで幅広く経験を積んだ後、医院を継承
はじめに、医師を志したきっかけを教えてください。
両親が共に医師という家庭で育ちましたので、小さい頃からその働く姿を見て、自然と医師という職業に魅力を感じるようになっていました。また、私はおじいちゃん子・おばあちゃん子で多くの時間を祖父母と過ごしていたのですが、年齢を重ねるにつれて不調が生じるようになった祖父母の姿に「医師として助けになることができれば……」と強く思うようになり、医師の道に進む気持ちが固まりました。
そして、東邦大学医学部へ進学し、卒業後に鳥取大学医学部附属病院で2年間初期研修を受け、2007年に鳥取大学医学部の脳神経小児科に入局しました。
院長は小児科を専攻し、小児科専門医・小児神経専門医の資格を取得なさっています。どうして小児科を選ばれたのでしょうか?
私は子どもが好きで、苦しそうにしている子どもを見ると「なんとかしなければ」という気持ちが強く湧きます。小児にもいろいろな病気がありますが、少しでも自分が子どもたちのためにできることがあればという想いから、子どもの診療に取り組もうと考えました。
入局して最初の2年は、島根県立中央病院の新生児科・小児科に在籍しました。同院は地域の急性期型中核病院で、新生児・小児診療についても救急医療を含め疾患全般に対応していました。対応症例も幅広く、一般的な小児科の診療をはじめ、小児科病棟では血液の病気、腎臓の病気、ホルモンの病気、感染症などの臨床に携わり、研鑽を重ねました。また、同院には大きなNICU(新生児集中治療室)があり、早産で生まれた赤ちゃんや低体重の赤ちゃん、呼吸障害のある赤ちゃんなどの集中治療にも携わっていました。大変なことも多くありましたが、この時期の経験が医師としての礎になっています。
2009年には、鳥取県立中央病院の小児科に移られました。
こちらも小児医療に力を入れている病院でしたので、NICUやICU(集中治療室)で新生児や小児の集中治療を数多く経験しました。また、外来診療では、てんかんや筋疾患の治療、重度の肢体不自由と知的障害をあわせ持つ重症心身障害などを診る神経外来も担当していました。
2012年に鳥取大学医学部附属病院に戻り、小児の脳神経領域を専門に臨床に従事し、急性脳炎や重症のけいれん性疾患といった脳の急性期治療や、重症心身障害で寝たきりの子どものケアなど、より高度な医療経験を積んだほか、外来で発達障害のお子さんの診療にも携わっていました。寝たきりの子どもは呼吸障害を起こすことが多く、呼吸器を使った呼吸管理が欠かせません。そうした対応も日常的に行い、専門性の高い診療についても習得しました。
2017年から勤務された鳥取県立総合療育センターでは、どのような診療を担当されましたか?
同センターは、さまざまな障害や困難を抱えた子どもが医療や看護、生活支援などを受けるための施設です。私は入院していた子どもたちのケアや、発達障害の子どもを中心とした外来診療を担当していました。
そんな中、当院の初代院長であった母が体調を崩すようになり、私が3か月ほど診療を代行することもありました。当院は1992年開業で、30年以上にわたり地域の子どもたちの医療を担わせていただいています。その医療を継承して地域に貢献しようと考え、2020年6月、院長に就任しました。