周産期医療から婦人科、高度生殖医療まで幅広く研鑽を積んだ産婦人科のエキスパートが、「生涯を通して女性の健康を支える」レディースクリニックで地域に貢献
はじめに、安田先生が医師を志したきっかけと、産婦人科を専攻された理由をお聞かせください。

小学校高学年の頃、人間の「記憶」がなぜ脳に蓄えられるのかという仕組みに強く興味を抱いたことが、医学部を目指す原点となりました。にもかかわらず、進学後に選んだのは脳神経の分野ではなく産婦人科です。その理由は、医学の学びを深める中で、脳の発達が胎児期から始まり、身体の成長と密接に関わっていることを知ったからです。
私が目指していた脳神経外科は、その多くが“脳の疾患を治療する”ことに重きを置いている点に、どこか違和感を覚えました。それよりも、妊娠や出産を通して命の芽生えに立ち会い、脳が形成されていく過程を見届けられる産婦人科こそが、自分の興味により近く、より深いやりがいを感じられると気づいたのです。
開業までのご経歴をお聞かせください。
秋田大学医学部を卒業後、同大学の産婦人科に入局し、秋田大学医学部附属病院をはじめ、秋田社会保険病院、中通総合病院、市立秋田総合病院、秋田赤十字病院など、秋田県内の主要な医療機関で産科・婦人科の診療に幅広く携わってきました。
その後、さらなる専門性を高めるため、仙台市にある京野アートクリニックにて、体外受精や顕微授精といった高度生殖医療の技術を研鑽。生殖医療の最前線に身を置く中で、より多くの患者さんの妊娠・出産に貢献したいという思いが一層強まりました。
その後、NTT東日本東北病院(当時)では産婦人科主任医長として勤務し、豊富な臨床経験を重ねたのち、2010年12月に当院を開業しました。
具体的には、どのような診療に携わってこられたのでしょうか?
秋田大学医学部附属病院および秋田赤十字病院では、いずれも周産期母子医療センターに勤務し、ハイリスク妊娠に対する専門的な診療に従事してきました。妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病などの合併症を抱える妊婦さん、高齢出産や双胎などの多胎妊娠といったリスクを伴うケースを数多く担当し、妊娠中から出産、新生児期まで、母子双方の健康管理をトータルに行ってきました。
 
また、市立秋田総合病院など地域の基幹病院では、産科に加えて婦人科診療にも幅広く携わりました。子宮鏡を用いた子宮筋腫や子宮内膜ポリープの切除術、腹腔鏡による卵巣嚢腫の摘出など、低侵襲手術を中心に多数の症例を経験しています。特に、緊急を要する子宮外妊娠に対しても、開腹ではなく腹腔鏡下での手術を選択し、できる限り患者さんの身体的負担を抑える治療に力を注いできました。
こうした経験を通じて、命の誕生に関わる産科医療から、女性の健康を支える婦人科診療まで、幅広い知見と技術を培うことができました。女性のライフステージに寄り添う医療を実践するための、かけがえのない土台となっています。
高度生殖医療を含め、長年にわたり高度医療機関でご活躍されてきた安田先生が、開業を決意された背景には、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
産婦人科医は、妊娠・出産だけでなく、思春期から更年期、そして老年期に至るまで、女性の一生に寄り添いながら医療を通じて支えることができる、大変やりがいのある職業です。
しかし、大規模な病院では診療科の細分化が進んでおり、産科と婦人科、不妊治療と周産期医療などが明確に分業されているのが現実です。たとえば、私が不妊治療でお手伝いした患者さんが妊娠された場合、その後の妊婦健診や分娩は別の医療機関へ移られるケースがほとんどでした。
もちろん、それぞれの分野で高い専門性が求められるからこそ成り立つ体制ではありますが、一方で、妊娠までの歩みを一緒に重ねてきた患者さんとのつながりが、ある日ふっと途切れてしまう――そのことに、どこか寂しさや、やりきれない想いを抱くようになりました。
「最初の出会いから出産、そしてその後の人生にわたって、長く寄り添っていける医療を実現したい」。そんな想いが私の中に強く芽生えたことが、開業を決意する大きなきっかけとなりました。
2022年12月に現在の場所へ移転されたと伺いました。
はい。現在、秋田県内で不妊治療と患者さんの希望による無痛分娩の両方に対応しているクリニックは、当院だけとなっています。そのため、県内各地から多くの患者さんにご来院いただくようになり、従来の施設では手狭になってしまったため、より広いスペースを確保できる現在地へと移転しました。
診療内容は開院当初から変わらず、不妊治療や妊娠・出産はもちろん、更年期以降の婦人科疾患に至るまで、女性の一生に寄り添う医療を提供することを大切にしています。
