臨床に研究に、医療の最前線を走りながら、母親の命を救いたいと開業を決意
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
実は、私はいろんなことに興味がありまして、英文学のシェイクスピアを読んだり、考古学に関心があったり、高校2年生までは法学科に進んで弁護士になるつもりでした。手に職をつけるというのか、何かしらの専門職に就いてその道を極めたかったんです。
ところが、いよいよ最終的な進路を決める高校3年生のときに、思うところがあって文系から理系に編入し、大阪大学工学部原子力工学科に進学しました。物理学は楽しかったのですが、改めて将来の職業を考えたときに、生涯現役で働き続けられる医師という専門職に魅力を感じ、山形大学医学部に入り直し、東北大学大学院に進みました。
呼吸器内科を専攻されたのは、どのような理由からですか?
私は、特定の臓器ではなく、全身を診て異常の原因を突き止めていく内科医になりたい、と思っていました。その中でも肺がんのように命に関わる病気や、気管支喘息、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のように治りにくい病気を扱うことの多い呼吸器内科にやりがいを感じ、尊敬できる教授がいらした東北大学医学部の老年・呼吸器内科に入局しました。
開業のきっかけやそれまでのご経験などを教えてください。
呼吸器内科医としては、肺がんやCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの診療に専門的に携わり、老年期の認知症も診療していました。また、約4年間在籍していた石巻赤十字病院の救急外来ではずいぶん鍛えられまして、呼吸器内科医でありながら胃内視鏡や大腸カメラ検査をした患者さんは6,000人以上にのぼりますし、お子さんの急病や心臓発作などの循環器疾患の応急処置など、実に幅広い症例に携わってきました。ここでの貴重な経験は医師としての礎になっていると感じます。
その後、京都大学医学部附属病院に勤務し、外来化学療法の講師として後輩の指導・育成に携わりながら、毎日60人ほど、さまざまながん患者さんの抗がん剤治療の経験も積んできました。さらに、東北大学未来医工学治療開発センター臨床応用部門では、准教授を任され、先進医療や創薬、医療機器などの研究開発にも携わっていました。
私が思い描いていたとおり、呼吸器だけでなく、循環器や消化器も含めてほぼ全身の診療や医療の研究開発に携わることができ、充実していました。ところが、その矢先、私の母が悪性リンパ腫を発症してしまったんです。母は、抗がん剤の治療効果があまり得られないタイプのがんだったようで初期治療が奏効せず、なんとか私が治してあげたいと思い、開業することを決めました。
2011年4月に開業されたそうですね。
はい。残念ながら、母の治療には間に合いませんでしたが、開院のきっかけとなったがん治療にかなり思い入れのあるクリニックができました。それに加えて、あらゆる年代の全身の病気を診療する「内科」と、救命救急で研鑽を積んだ「小児科」も設け、がん治療の「腫瘍内科」を含めた3本柱で診療しています。