更新日: 2025-07-22

基本情報

名称:
戸塚クリニック
診療科目:
内科, 循環器内科, 糖尿病内科, 内分泌内科, 小児科
住所:
〒 244-0002
神奈川県横浜市戸塚区矢部町649

電話番号045-864-2110電話
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アメリカ残留か帰国か、揺れた末に選んだ日本での再出発。“患者の最期まで診たい” と循環器再挑戦を決めた原動力

その後、帰国されていますね。どのような理由から帰国されたのでしょうか?

村松 賢一先生の写真

ニューヨークでの研修が終盤に差しかかった頃、「このままアメリカに残って、専門研修(フェローシップ)に進むかどうか」が大きなテーマになっていました。全米の有力プログラムにいくつか応募し、面接も受けたんですが、結果は全滅でした。当時は英語もだいぶ上達して、仕事にも少しずつ慣れてきたとはいえ、やはり「異国での生活」に対する精神的な疲れが抜けなかったんです。特にニューヨークは、住む場所としては非常にストレスフルで、心を休める余裕がなかった。実は、もとの病院からは“戻ってきてもいい”という雰囲気のオファーもありました。でも、その時の僕は、自分の中でひとつのサイクルが終わった感覚があって、「ここからまた数年間ニューヨークで頑張る」ことにどうしても気持ちがついてこなかったんです。「もう一度、日本の空気を吸いたい」と思った。その気持ちに正直になって、帰国を決断しました。

日本の医療現場にはすぐ慣れましたか?

むしろ、帰ってきてからがまたしんどかったですね。母校の大学病院に戻って、消化器内科に所属したのですが、アメリカと日本の医療現場の違いに戸惑うことばかりでした。診療の進め方、指導医との距離感、カンファレンスの雰囲気、働き方……何から何まで違う。まるで別の職業に戻ってきたような感覚でした。特に、アメリカで培った「対話ベース」の診療姿勢や、フラットなチーム医療の空気が、日本ではなかなか通じない。そうしたギャップに、自分の存在意義を見失いかけてしまいました。ただ幸いなことに、同じ医局に糖尿病・内分泌内科もあり、そちらに異動させてもらえることになりました。こちらの科は、ペースもやや穏やかで、患者さんとしっかり向き合う診療ができました。そして何より、アメリカで学んだこと──プレゼンテーションの技術や後輩へのフィードバックの仕方など──を後輩たちに伝える機会を持てたことで、「ああ、自分にもできることがあるんだ」と、少しずつ前向きになれたんです。
あるとき、長年インスリン治療をしていた高齢の患者さんが、「先生は、なんでそんなに話を聞いてくれるの?」とぽつりと聞いてくれました。僕にとっては自然な姿勢でも、患者さんにとっては“対話を重ねる医療”は珍しかったようです。その一言で、僕がアメリカで学んできた姿勢が、確かにここでも必要とされていると実感できました。

大学病院で落ち着き始めたところで、その後、退職されていますね。どうしてでしょうか?

糖尿病内科での仕事に慣れ、やりがいも感じていたのですが、どうしても納得できない部分がありました。大学病院という組織の“医局人事”の仕組みに戸惑ってしまったんです。一定期間が経つと、指示に従って系列の市中病院へ異動しなければならない。その仕組みを完全に理解しないまま入局していた僕は、あるとき異動の内示を受けたとき、どうしても気持ちがついていかなかったんです。
大学では、後輩に教育したり、アメリカで学んだスタイルを伝えることにやりがいを感じていましたし、自分がそこに“役立っている”という実感もあった。それを離れてまで転勤するという感覚が、どうしても馴染めませんでした。悩んだ末に、その異動の話はお断りし、そのまま大学病院を退職することに決めました。

その後は、保険会社と診療所をかけ持ちされたと聞いています。

はい。ちょうどその頃、アメリカ留学をサポートしてくださった先生が、「保険会社で医師としての査定業務をやってみないか」と声をかけてくださいました。そのご縁で、生命保険会社で保険金支払いに関する医的査定や審査業務を担当する一方で、外来診療もできるクリニックで勤務するという“ハイブリッドな働き方”を始めました。いわば「サラリーマン的な医師」のような生活ですね。朝はスーツを着てオフィスに行き、午後は白衣に着替えて診察する。最初は不思議な感じもしましたが、企業の中で働く人々の感覚や、医療とはまた違う判断基準に触れられたのは、すごく貴重な経験でした。

そこから、再び循環器を志すことになった理由をお聞かせください。

糖尿病を診ていると、どうしても限界を感じる瞬間があるんです。患者さんが急変したり、心不全や心筋梗塞を起こしたときには、他科にお願いするしかない。でも、「自分の患者さんなのに、最後のところを診られない」というもどかしさがずっとありました。だったら、急性期を含めて自分が診られるようになりたいと思い、循環器内科への再チャレンジを決意しました。そんなとき、知人の紹介でさいたま赤十字病院に循環器の欠員があることを知り、勤務させていただくことになったんです。

さいたま赤十字病院の循環器内科ではどのような症例に携わってこられたのでしょうか?

村松 賢一先生の写真

いやぁ、想像以上にハードでした(笑)。循環器はとにかく時間との勝負。完全主治医制で、患者さんのすべてを自分で管理しますし、当直も週に1回以上、土日・月曜にまたがる当直も月2回。夜間や休日も患者さんの急変があれば病院に呼び戻されます。それでも、心筋梗塞や心不全などの重症患者の診療に数多く携われたことは、医師として本当に貴重な経験でした。緊急カテーテル検査・治療、人工呼吸器管理、体外循環(ECMO)などの集中治療も実施し、医療の“最前線”で学び、戦った感覚がありました。
実は、さいたま赤十字病院には当初、1年から2年のつもりで勤務していました。再度アメリカでの専門研修を目指す計画もあり、実際に内々ではオファーが得られそうな話もありました。ハワイ・ホノルルのクリニックで勤務するという話もありましたが、なぜか気持ちが動かず……。それよりも、さいたま赤十字病院での循環器診療の現場に強く惹かれるようになり、「ここでもう少し頑張ってみよう」と思うようになったんです。気づけばこの土地に愛着が湧き、最終的にはマンションまで購入する決断をしました。臨床の真剣勝負の中で、“根を張って生きる”という覚悟が、自分の中で自然と芽生えていたのかもしれません。