病弱だった幼少時に芽生えた「病気を治したい」という思いから医師の道へ
松浦先生が医師を志したのは、いつ頃からでしょうか。
実は私自身、幼少の頃は病弱で、よく熱を出していたんです。元気になったと思って幼稚園や小学校に行くとまた熱を出すという繰り返しで(笑)、両親に心配ばかりかけていましたね。食も細く、小児喘息を患っていたこともあり、病院と家を行き来ばかりしていたような記憶があります。そんなこともあり、医師という職業は、幼稚園や小学校の先生と同様、自分の生活の中で身近な存在だったんです。
その頃はまだ、将来医師になりたいという強い意志があったわけではありませんが、中学生や高校生になる頃には熱を出すことも少なくなり、「病気を治す医師になりたい」と明確に思うようになっていました。そして、医学部を志し、京都大学医学部に入学しました。
開業までの経緯を教えてください。
京都大学は研究が盛んな大学ですので、私も基礎研究の雰囲気を味わってみたいという思いがあり、医学部卒業後はそのまま大学院に進学して、4年間、脳研究に没頭していました。
楽しくやりがいもあったので、そのまま研究を続ける道も考えましたが、もともと自分が病弱だったことから医師の道を目指したわけですし、「地域の方々に貢献できる医師」として診療に携わっていきたいと臨床の場に戻ることを決めました。
臨床医としての第一歩は、京都・伏見の武田総合病院です。研修医としてスーパーローテート(すべての科を回る研修)で内科、外科、麻酔科、小児科などを回った後、脳の研究に関わっていた経験から神経内科を専攻して、その後、京都・山科にある音羽病院の神経内科に勤務、脳卒中を中心とした診療に取り組むようになりました。
しかし、途中からcommon disease(日常的に高頻度で遭遇する疾患)を幅広く見る、いわゆる家庭医療に興味が出てきたため、内科全般を経験できる京都伏見しみず病院に移り、内科領域の疾患を幅広く経験・研鑽を積んできました。またこの時期には一般企業の産業医も務め、4つの企業で健康診断や健康相談などにも携わってきました。
4年ほど経った頃、京都伏見しみず病院から京都リハビリテーション病院と名称が変わり、回復期リハビリテーションに特化した施設に体制が変わりました。それまで経験を積んできた一般内科の外来に加えて、脳梗塞の急性期治療後や骨折術後の回復期リハビリテーションが診療の中心になりました。
現在のクリニックの診察内容に老年内科や漢方内科が含まれているのは、この時の経験が大きく影響しています。京都リハビリテーション病院に変わってから5年後の2021年、念願だったクリニックを開業し、現在に至ります。