第一線でメスをふるってきた脳神経外科医から、脳と神経の“かかりつけ医”に転身
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
理数系が得意で大学進学時には理工学部への推薦が決まり、進路に迷ったこともあったのですが、最終的に医師になることを決めたのは、子どもの頃の体験が根底にあったと思います。
私は、やんちゃな子どもだったので、切り傷、擦り傷、捻挫とケガが絶えず、感染症で入院したこともあり、医療のお世話になることが多かったんです。小学生のときには、道路に飛び出して交通事故に遭い、足の皮膚を移植するという大きな手術を受けたこともありました。そのときの主治医の先生にすごく憧れまして、「自分もこんなふうに人の役に立てたらいいな」と思ったんです。その当時は、まだ漠然とした憧れでしたが、いざ進路を決めるとなったときに、ずっと自分の根底にあった医師という職業への強い思いに気づき、医師になることを決断しました。
脳神経外科を専攻されたのは、どのような理由からですか?
子どもの頃の体験も影響していますが、医療マンガの「ブラック・ジャック」にはまった世代なので、「外科医って格好いいな」と思っていたんです(笑)。
研修医のときに一般外科などもローテーションで回って、最終的に脳神経外科に決めたのは、脳の神秘性というのか、神経系の奥の深さに面白さを感じたからです。しかも、全身の機能を司る脳という大事な臓器に、手術によって直接介入することで、患者さんの機能や意識を改善できるということに、とてもやりがいを感じたことも理由の一つですね。
開院されるまでのご経歴を教えてください。
横浜市立大学医学部を卒業後、同大学の脳神経外科に入局しまして、以来、横浜市立大学附属救急救命センターをはじめ、横浜労災病院、横浜市立病院など、神奈川県内の中核病院で臨床主体に研鑽を積んできました。こうした地域の中核病院では、脳梗塞などの脳血管障害や、事故などによる頭部外傷といった重症の患者さんも多く、手術の執刀も含めて、そうした疾患や外傷の治療に数多く携わってきました。
さらに、横浜医療センターでは、頭蓋底腫瘍手術の名手として大変有名な藤津和彦先生に師事し、その後、脳神経外科部長を務めていた平塚共済病院や横浜市立みなと赤十字病院では、脳腫瘍の摘出手術も多数執刀してきています。
外科医として第一線で経験を積んできた先生が、開業されたのにはどういった想いがあったのでしょうか?
外科医は、誰もがいずれは手術の第一線から退くときが来ます。私も地域中核病院の第一線でメスをふるってきましたが、年齢を考えると、そうした立場で社会に貢献するという意味でのキャリアは一段落させるタイミングではないかと。特に、脳外科手術は、脳血管カテーテル手術や神経内視鏡手術などが始まり、技術が飛躍的に進歩しています。新技術の活用を含めて、第一線での手術は後進に任せ、これからは、臨床経験をフルに活かし「脳と神経のかかりつけ医」として、病気の早期発見や予防といった地域医療を支える立場から地域の皆さんに貢献していきたいと思い、2022年12月に「しんゆり脳神経外科クリニック」を開業しました。
この場所を選ばれた理由をお聞かせください。
隣の宮前区に10年弱くらい住んでいたことがあり、新百合ヶ丘にはちょくちょく来ていたので親しみがあったんです。開業を考え始めたときに、たまたま趣味のテニス仲間からこの場所を紹介され、街の雰囲気もとても良くて、ひと目で気に入りました。それに、この地域には脳神経外科のクリニックがまだ少ないと聞いて、地域の方々のお役に立てるのではないか、と考えたこともこの場所に決める動機になりましたね。
竹本先生のお人柄を感じさせる優しい雰囲気の院内ですね。
ありがとうございます。患者さんに落ち着いて診察を待っていただけるよう木目や優しい色合いのパステル調を取り入れました。緊張せずに、ゆったりとした気分で診察にのぞんでいただけたら嬉しいですね。