耳鼻咽喉科専門医として大学病院などで臨床に従事。医師として医療に貢献し続けたい想いから開業を決意
はじめに、先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
昔から手先が器用なほうで、親からも医師になることを勧められていたのですが、私自身は分子生物学に強い関心があり、研究者になりたいと考えていました。そこで、高校卒業後、当初は理学部化学科に進学したんです。
しかし、医学部に進んだ友人が多かったこともあり、次第に医師の道にも興味を持つようになりました。医師になれば、外科治療などで手先の器用さを生かすこともできますし、研究の道に進むこともできます。そう考えて大学を受験し直し、山形大学の医学部に進学しました。
大学卒業後は東京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科に入局されました。どのような理由から耳鼻咽喉科を選ばれたのでしょうか?
耳鼻咽喉科は聴覚や嗅覚、味覚といった感覚器を扱う診療科ですが、例えば音が耳から入って脳に伝わる仕組みなど、その構造は非常に複雑で、学生の頃から強い興味を感じていました。また、耳鼻咽喉科は外科系に属し、耳や鼻などの手術は術野が狭いことが多いのですが、そうした治療も細かい作業の得意な私には向いていると思い、耳鼻咽喉科を選びました。
東京大学に入局したのは、私の実家が埼玉県所沢市で、両親のことなどを考えて関東に戻ろうと考えたからです。山形大学は私と同じように関東出身で関東に戻る方が多く、そこからご縁をいただいて、以前東大耳鼻咽喉科の医局長を務めておられた先生に相談して東京大学医学部附属病院の耳鼻咽喉科に入局しました。
以来、長年にわたり、大学病院やさまざまな基幹病院で医業に邁進されました。この間、診てこられた疾患について教えていただけますか?
最初の数年間は、東京都のNTT東日本関東病院や千葉県の亀田総合病院で耳鼻咽喉科の一般診療の経験を積み、手術手技を習得するなど研鑽を重ねました。その後、東京大学医学部附属病院に戻り、耳鼻咽喉科全般の診療に従事しつつ、特に耳に関する疾患を専門として診察から手術治療まで携わりました。
耳鼻咽喉科というと、耳や鼻、のどの病気を診るところといったイメージがあるかと思いますが、実際には脳と目以外の首から上の領域を幅広く診ており、対象となる疾患も多岐にわたります。その中でも当時は副鼻腔炎の患者さんが多く、ナビゲーションシステムを使った内視鏡手術もたくさん経験してきました。また、耳の疾患では中耳炎の患者さんを多数担当し、鼓膜に空いた穴をふさいだり耳小骨を再建したりする手術を行って、聴力の回復を図る治療なども行ってきました。
数々の基幹病院で部長職まで務められたのち、2024年9月に貴院の院長に就任されました。どのような想いから院長就任を決意されたのでしょうか?
大きなきっかけとなったのは、60歳で定年を迎えようとしていたことです。定年延長で65歳まで働き続ける選択肢もありましたが、私は65歳になっても医師を続けていきたいという想いをもっていましたし、そのためにも医師として進歩し続けたいとも考えていました。
そんなとき、当院理事長の宮野一樹先生からお誘いを受けました。宮野先生は前職のJR東京総合病院で部長と医長として3年ほど一緒に働いた同僚であり、当院の本院である「高田馬場みやの耳鼻咽喉科」を開業された開業医としての先輩でもあります。その宮野先生からお声がけをいただき、「これからはクリニックという患者さんにとってより身近なところで医療に貢献したい」と、院長就任を決意しました。