高度医療機関で手腕を振るってきたベテランの心臓血管外科医と循環器内科のエキスパート医師が、親子2代で地域医療を支える
はじめに、山田院長と健太先生が医師を志したきっかけをお聞かせください。
【山田院長】私の父が医師で、物心ついたときから医療を身近に感じていたことが大きいですね。物をつくるのが好きでしたので、「建築家になるのもいいな」と考えたこともありましたが、最終的には父と同じ医師の道を選びました。
【健太医師】祖父が開院した当クリニックは幼少期の僕の遊び場でしたし、父が勤めていた大学病院は怪我をした時に手当をしてくれるもう一つの家のような場所でした。医療者と医療機関が身近だったため無意識に自分も医師になるものだと思っていたかもしれません。小学生のとき飛行機で体調の悪い方を助けにいく父の姿は最後の後押しになった気がします。
山田院長は心臓血管外科、健太先生は循環器内科を専門とされています。それぞれ専攻された理由を教えてください。
【山田院長】先ほど触れた通り、手先を使うのが好きで得意でもありましたので、外科を専攻しました。外科の中でも、心臓血管外科を選んだのは、術後、すぐに成果が見えて回復も早いことが一番の理由ですね。
【健太医師】循環器内科医が一番格好良いと思ったからです。病院内あるいは道端で体調を崩した方、倒れてしまった方がいたときに真っ先に患者さまの元へ駆けつける医者の一人は循環器内科医なので、私もそのような医者になりたいと思いました。
山田院長が、貴院を継承されるまでのご経歴を教えてください。
【山田院長】昭和大学医学部を卒業後、そのまま外科に入局して心臓血管外科を専攻し、昭和大学病院や昭和大学藤が丘病院に勤務しました。同大学病院では、狭心症や心筋梗塞に対する冠動脈バイパス術、心臓弁膜症に対する弁の修復や交換、胸部大動脈瘤や大動脈解離といった血管の病気に対する手術など、数多くの手術を行ってきました。
その後、英国に留学し、セント・トーマス病院で心臓外科の臨床と心臓血管に関する実験研究に携わり、知見を深めました。帰国後は、丸山記念総合病院の循環器・内科、田園調布中央病院の循環器・内科で心臓や血管の病気、一般内科を含めて幅広く診療してきております。
約26年にわたり高度医療機関で手腕を振るわれてきましたが、開業医に転身されたのには何か理由があったのでしょうか?
【山田院長】帰国後に戻った昭和大学病院心臓血管外科では、助教授や臨床修練指導医を務め、後進の育成にも積極的に携わってきて、達成感のようなものを感じ始めていました。ちょうどその頃、私の義父の高島先生が高齢になり、そろそろ引退を考えたいとのことでしたので、2006年に医院を継承し、名称も「高島・山田クリニック」に変更しました。
健太先生が貴院に入職されるまでのご経歴を教えてください。
【健太医師】日本医科大学医学部を卒業後、栃木県にある国際医療福祉大学病院で初期研修を受け、その後国際医療福祉大学三田病院循環器内科、国際医療福祉大学塩谷病院循環器内科、日本医科大学付属病院心臓血管集中治療室に勤務しておりました。超急性期から慢性期まで、都会から医療過疎地まで、さまざまな環境で幅広い経験を積んできました。
現在は、貴院に勤務されながら、杏林大学医学部付属病院の循環器内科にも勤務され、講師も務めていらっしゃるそうですね。
【健太医師】現在は当院に週2回勤務しながら、杏林大学付属杉並病院でカテーテル治療やペースメーカー植え込み手術、狭心症や不整脈、心不全や睡眠時無呼吸症候群の方の治療など幅広く行っております。いずれは当院での診療日数を増やし、父とともに地域医療を支えていきたいと考えています。