大学病院で産婦人科領域の幅広い経験を積んだ後、大正時代から代々続く医院を継承
歴史のある医院で、先生で4代目だと伺いました。
当院は開院から100年以上続く医院で、大正4年に現在のえびの市にあたる西諸県郡飯野村出身の2代目の祖父が「野田療養院」を建設し、開院したのがはじまりです。その頃から「産婦人科」を標榜していたそうです。3代目の父の代に共立病院を共同開院していたころは、産婦人科だけでなく外科などいろいろな科を標榜していたようですが、時代とともに需要の増えていた産婦人科をメインで診るようになり、1968年に現在の場所へ移転し、「野田医院」として独立開院しています。
私たちの年代は親の後を継ぐのが当たり前という時代でしたから、私も幼い頃から医師になるのが自然な流れだと思っていました。産婦人科を専門にした理由もそうですが、「迷いなく」というよりも「他の選択肢が最初から頭になかった」といったほうが正しいかもしれません(笑)。
貴院を継承するまでのご経歴を教えてください。
藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)を卒業後、宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)附属病院の産婦人科に入局しました。ここで多くの素晴らしい先生方と出会い教えを受けたことが、私の産婦人科医としての財産になっています。
まず、初代教授である森憲正教授には、産科婦人科全般だけでなく、専門とされていた肥満、内分泌の分野に至るまで幅広くご教授いただきました。また、宮崎県の周産期医療※1を牽引してこられた池ノ上克教授にもご指導いただく機会に恵まれ、周産期医学の学びを深め、いろいろな知識を身につけることができました。
全国的に体外受精が普及しはじめた平成初期からは、同院で立ち上げられたばかりの不妊治療のチームに所属し、臨床に従事しました。この時の経験が礎となり、不妊治療は現在の野田医院の診療の柱のひとつとなっています。その後、当院が建物を全面新築するタイミングに合わせ1995年に宮崎医科大学を辞し当院の副院長となり、1999年に院長を継承しました。
※1 周産期とは妊娠22週から生後満7日未満までの期間を指し、周産期医療とはこの期間の母体、胎児、新生児を総合的に連続的に取り扱う医療。妊娠している女性の体調管理や出産時の適切な措置をとるとともに、お腹の中の胎児、生まれてきた新生児の管理を徹底して、母子ともに安全なお産をするためのトータルケアを行ないます。