更新日: 2024-08-27

基本情報

名称:
沖本眼科
診療科目:
眼科
住所:
〒 732-0052
広島県広島市東区光町1-14-25

電話番号082-264-1320電話
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1981年の開業以来、地域住民の眼の健康を支えてきた「沖本眼科」が、2024年5月、JR広島駅北口から徒歩約3分の場所に移転オープンした。同院では、沖本峰子院長とご子息で副院長の沖本聡志先生が、子どもから高齢者まで幅広い世代の患者を診療している。

聡志副院長は、広島大学病院時代に眼科全般の研鑽を幅広く積み、県立広島病院や広島赤十字原爆病院で眼科部長として難易度の高い白内障、緑内障、斜視、網膜硝子体等の眼科手術にも精通したエキスパート。さらに、小児科医としての臨床経験もあり、全国的に数少ない小児眼科の分野にも精通しており、小児から高齢者まで幅広く診療できる臨床経験豊富な医師だ。広島赤十字原爆病院在職時は広島大学眼科の臨床教授も兼務し、後輩医師の指導にも携わってきた。
その豊富な知識と経験を活かすため、移転にあたって高性能な機器を揃えた広い手術室を新設し、緑内障や白内障、網膜硝子体等の日帰り手術を開始。子どもの斜視・弱視といった小児眼科の専門診療も行っている。今回は、長年にわたり地域医療に貢献してきた峰子院長と、総合病院並みの専門的な眼科診療に力を入れる聡志副院長に、診療内容や今後の展望などを伺った。

高度医療機関で手腕を振るってきた小児眼科、眼科手術のエキスパートが、先端医療機器と手術室を完備して移転オープン

はじめに、医師を志したきっかけと、眼科を専門とされた理由をお聞かせください。

沖本 峰子先生の写真

【峰子院長】学生の頃から一生続けられる仕事に就きたいと考えていて、高校生のときに教師から医師を勧められたのがきっかけです。眼科を選択したのも、女医として結婚・出産・育児といったライフイベントを経ても生涯続けていける診療科だと考えたことが大きな理由ですね。

【聡志副院長】子どもの頃から、眼科で診療している母を間近で見ていましたので、医師という職業は漠然とした憧れと、ある程度身近な感覚を持ちながら育ちました。しかし、特に親からも何も言われたこともないため、医師になるにはどういう進路を目指したらいいのかよく分からないまま過ごしていましたが、高校時代などに医学部を目指して頑張っている同級生にアドバイスを受けながら、私も何とか頑張れたと思います。医学生時代も、医師になってからも、患者さんを診るということの責任の重さをずっと感じながら、一生勉強が必要な職業だと常に感じながら過ごしています。

私は眼科医になる前に、3年間小児科医として勤めた経歴があります。眼科はずっと意識はしていましたが、医学部の学生時代や、卒業後の臨床研修で2年間さまざまな診療科を研修する際に、各診療科の先生の教えを聞きながら人体の奥深さを目の当たりにして、どの診療科を専門にするか本当に悩みました。“患者さんの全身のことが分かったうえで、眼科を専門としたい”との思いで、少しでも全身のことを勉強するために小児科で研鑽を積んだ後に眼科医となりました。

峰子院長のご経歴と、開業のきっかけを教えてください。

【峰子院長】広島大学医学部を卒業後、広島大学病院の眼科に入局し、主に白内障や緑内障、網膜剥離など、重症の眼疾患の診療に携わってきました。白内障の手術にも取り組み、臨床の傍ら研究もしていました。助手に昇格し、後輩を指導する立場にもなりましたが、当時まだ子どもたちが幼かったこともあり、大学病院での勤務を全うするのは時間の制約上難しいと思い、開業を決意しました。

聡志先生は眼科の前に小児科へ進まれたと伺いましたが、ご経歴をお聞かせください。

沖本 聡志先生の写真

【聡志副院長】医師を目指したときから、漠然とですがいずれは当院を継ぐことを考えていました。ただ、眼科の専門性を突き詰める前に、まずは全身的な医療を学びたい気持ちが強く、3年と期間を決めて、広島大学医学部卒業後に広島大学小児科に入局しました。小児科を選んだのは、専門が細分化された内科などにくらべて、全身を幅広く診療する科目だったからです。
派遣先の広島市立舟入病院では、2年間小児救急に携わり、胃腸炎や熱性けいれんなど、軽症から重症まで24時間対応で幅広く診療し、もう1年間は、広島市民病院の総合周産期母子医療センターの新生児科医として、新生児/未熟児の診療に携わりました。未熟児網膜症の治療を眼科の先生が行う際、呼吸管理などを担当しました。そういった中で、眼科医になっても子どもの目の治療に貢献できるという思いも強くなり、眼科医になる決意を固めました。

小児科で研鑽を積んだ後、眼科に転向されたのですね。眼科ではどのような症例を診てこられたのでしょうか?

【聡志副院長】広島大学病院の眼科に入局し、眼科全般の診療に従事しながら、当初から小児科経験を活かせる小児眼科の診療を長く行ってきました。その過程で、兵庫県立こども病院の眼科に国内留学というかたちで勤務し、子どもに多い弱視や斜視を中心に小児眼科全般の診療について深く学ぶことができました。
広島大学大学院に進学して基礎研究の分野で2015年に学位を取得した後、県立広島病院に赴任し、白内障、緑内障手術、網膜硝子体手術などの手術や治療に多く携わってきました。その後、広島赤十字原爆病院で5年間、眼科部長を務めさせていただきました。日赤病院では、基幹病院として難易度の高い白内障手術、緑内障、網膜硝子体手術や、斜視、小児眼科分野の紹介を多く受け、ここでさらに数多くの手術や診療経験を積み重ねました。

広島大学医学部では臨床教授も務めるなど、第一線で活躍されてきた聡志先生が入職されたきっかけは何だったのでしょうか?

【聡志副院長】広島赤十字原爆病院では部長職として日々の診療や手術にやりがいを感じていたのですが、数年前から院長も寄る年波の影響もあり、体調を崩すことがありました。私は勤務医の頃から当院の土曜日の診療もできる範囲内で行っており、常にクリニックの診療状態の把握にも努めていました。院長が体調不良のときは、勤務医をしながらできる範囲で診療のカバーをすることが何度かあり、そろそろ継承を考える時期と思い、広島赤十字原爆病院を辞して2023年10月に沖本眼科に戻りました。

継承するにあたり、移転前の旧クリニックの建物もかなり老朽化していましたので、これまで培ってきた自分の臨床経験を発揮して、より患者さんの治療に全力を尽くしたい思いでクリニックの移転を決断し、手術室や検査室を新たに拡充して2024年5月に移転リニューアルオープンしました。

沖本眼科の院内の写真
待合室は二面採光で明るく、リラックスできる居心地のよい空間
沖本眼科の院内の写真
さまざまな医療機器が揃う検査室も明るく広々としている