さまざまな医療機関での臨床経験が整形外科医としての礎を築く
はじめに医師を志したきっかけをお聞かせください。
父がこの「菅原整形外科」を開業して地域医療に携わっていましたので、小さい頃から医療を身近に感じていました。また、兄が医学の道を進んでいくのを目の当たりにしたことも、進路選択に少なからず影響していたと思います。私が具体的に医師を志そうと考え始めたのは高校生の頃です。いろいろな職業を調べていくうちに「人と深く関わる仕事に就きたい」と医師の道に進むことを決め、医学部に進学しました。
先生ご自身も当初からお父様やお兄様と同じ整形外科医になりたいと考えていらしたのでしょうか?
実は、最初は小児科医になろうと考えていました。子どもが好きでしたし、地方では小児科不足が深刻化していたので、自分が力になれるのではないかと思ったのです。一方で子供のころからスポーツが好きで運動機能に関して興味も持っていたので整形外科医になることも考えており、初期研修が始まってからもどちらに進むべきか決めかねていました。
しかし、研修中に担当した患者さんが手術によって運動機能を取り戻して笑顔で退院されていく姿に深い感銘を受け、整形外科医を志すことを決意しました。さらに、手術の技術を磨くことで、自身の成長していく過程が目に見えて実感できるところに大きな魅力を感じたことも、整形外科医への思いが強くなった理由の一つです。
「菅原整形外科クリニック」を継承するまでの経緯を教えてください。
大学を卒業し仙台赤十字病院で研修を終え、東北大学病院や東北労災病院で整形外科領域におけるさまざまな治療に携わってきました。2010年に登米市立登米市民病院に異動しましたが、翌年の3月11日に東日本大震災に見舞われました。時間を追うにつれて外傷の患者さんが次々と運ばれてきて、必死に治療に当たったのを覚えています。医師も医療資源も不足し、何をどうしたらいいかわからない状況で、病院に寝泊まりして懸命に対応したこのときの経験は、私にとって医師人生の大きな糧になっています。
その後、JA厚生連平鹿総合病院やJA厚生連大曲厚生医療センター、岩手県立磐井病院など地域医療を支える中核病院に勤務。人工関節治療や前十字靭帯再建、脊椎手術など幅広い症例の臨床経験を積み、2019年に「菅原整形外科クリニック」を継承しました。
クリニックを継承されたきっかけは何かあったのでしょうか。
いずれは父の医院を継ごうという思いはありましたが、具体的に考えるようになったのは、岩手県立磐井病院に勤務していたときです。当時、一関にはリハビリテーションを提供できる整形外科クリニックがなく、医療行為を行うことのできない整骨院に通われている方が多くいることを知りました。「リハビリによる適切な治療が受けられずに困っている人たちを助けたい」と考えるようになったことが、継承を決意したきっかけです。
それからは、継承するにあたり当院でも患者さんに適切なリハビリを提供できるように、リハビリについてより深く勉強し、東京や名古屋、秋田、宮城のリハビリ施設を見学したりなど準備を進めてきました。