豊富な臨床経験を持つ腎臓内科のスペシャリストが、常勤医として西村医院に入職
はじめに、医師を志したきっかけをお聞かせください。
【濵口医師】医学部を目指したきっかけは、医師を志したものの身体を悪くして途中で断念せざるを得なかった父の意志を継ぐためでした。ただ、すんなりと医師を目指したわけではなく、数学が好きでしたので、早稲田大学と慶應義塾大学の理工学部を受験して、他の道に進むことを考えた時期もありました。結局は、広島大学医学部に進みましたが、医学を学んでいるうちに「自分に合っているな」と感じることが多くなり、医師という仕事がどんどん好きになりました。今、こうして振り返ってみても、医師になってよかったと思っています。
どの分野の臨床経験を積んでこられたのでしょうか?
【濵口医師】広島大学医学部を卒業後、実家のある呉市の呉共済病院で初期研修を受けました。広島大学付属病院で専門分野を深く極めるという道もあったのですが、同じ呉出身の非常に優秀な先輩医師が、呉共済病院で実力を伸ばしておられることを耳にし、私も数多くの患者さんを診療し、さまざまな分野で経験を積みながら実力をつけていきたいと考えたのです。実際、呉共済病院では、一般内科の他に救急患者さんにも対応し、非常に多忙ながらも充実した臨床経験を積んできました。
また、呉共済病院は当時ではいち早く、透析療法にも注力していましたので、慢性腎臓病や腎不全などの腎臓疾患を数多く診るうちに、スペシャリストとしてその道を極めたいと考えるようになりました。そのため研修後は、広島大学第二内科の腎臓グループ(当時)に所属して腎不全をはじめとするさまざまな腎臓病の診療に携わりながら、慢性糸球体腎炎の中でも日本人に非常に多いといわれている「IgA腎症」の研究に長年取り組み、このテーマの論文で博士号も取得しています。
西村医院に入職される前は、尾道クリニックの院長をされていたのですね。
【濵口医師】はい、そうですね。1982年には、呉市の博愛病院(現博愛クリニック)に勤務し、慢性透析療法を中心とした腎疾患の診療に加えて、風邪やアレルギーなどの一般内科の診療にも携わってきました。そして、私が40歳のときに、当時の上司から尾道市にある「尾道クリニック」を経営してみないかというお話をいただき、正直、少し迷いもありましたが、一人で医院を経営するという大仕事にやりがいを感じ、尾道クリニックの院長を務めることを決めました。約26年にわたり、腎不全の患者さんを中心に地域医療に貢献してこられたと自負しております。
その後、2019年に自分の終の棲家と決めていた広島市に戻るにあたり、私の兄貴分の一人である辰川自光先生の元で、透析クリニックを任され、主に腎疾患の診療にあたっていました。そんなとき、当院の西村庸夫院長から、「全面的にうちをサポートして欲しい」とお誘いをいただき、2023年4月から常勤医として入職するに至ります。