大好きな子どもを支えるために小児科医に。100年近く地域医療を守り続けた老舗医院を継承
はじめに、稲毛先生が医師を志したきっかけと、小児科を専攻した理由をお聞かせください。
当院は、1928年に産婦人科医の祖父と小児科医の祖母が開業し、内科医の父が二代目、私で三代目になります。幼い頃からこの場所で、祖父母や父が医師として働く後ろ姿を見ながら育ってきましたので、自然と、あまり抵抗なく私も医師を目指していました。
小児科を専門としたのは、単純に“子どもが好き”だから、というのが一番ですね。それにくわえて、子どもの成長を支えていくために、それぞれいろいろな役割がある中で、私は医師として、相談先もなく困っているご家族の助けになりながら、未来を担う子どもたちの健全な成長をサポートしていきたい、と考えたことも小児科を専攻した一つの理由です。
三代目院長を引き継ぐまでのご経歴を教えてください。
東京医科大学を卒業後、大学の小児科に入局し、大学病院、日本赤十字社医療センターの未熟児・新生児科などで小児疾患全般について研鑽を積み、小児科専門医※1の資格を取得しました。その後は、大学のNICU(新生児集中治療室)や八王子医療センター小児科などに勤務し、臨床経験を積んでまいりました。
※1 日本小児科学会小児科専門医
基幹病院の新生児医療に携わる中で、重篤なお子さんを診療することも多かったのでしょうか?
そうですね。未熟児や早産児、仮死状態で生まれてきて、NICUでの管理が必要なお子さんも数多く診療してきました。もちろん、全員ではありませんが、中には、NICUを出た後、運動や神経発達への影響を心配されるお子さんもいらっしゃいました。
そうしたお子さんたちが、ご家庭に戻った後や社会に出たときに、具体的にどんな支援が必要になり、どのようにサポートしていくべきなのかを専門的に学ぶ必要性を感じたこと、そして、子どもの神経発達や脳の機能障害についての知識を深めたいと考えるようになったこともあり、その後は国立精神・神経医療研究センター研究所やカナダのトロント小児病院に在籍し、研究と臨床に研鑽を重ねてきました。そして、学んだことを活かすために都内の療育センターに勤務し、重症心身障害や神経発達症、発達がゆっくりなお子さん達の診療に携わってきました。
2020年4月に医院名を変えて三代目院長に就任されたそうですね。たくさんの丸窓がある楽しそうな建物のデザインがとても目を引きます。
以前の建物は1928年に建てたもので、それなりに趣もあり、地域の方々にも親しまれていました。私にとっても思い出深い建物で名残惜しい気持ちもあったのですが、かなり老朽化が進んでいたことと、道路の拡張工事の影響を受けてしまうという事情もあって、思い切って建て替えました。
いくつか開いている丸窓は、シャボン玉をイメージしています。院内の照明もシャボン玉が浮かんでいるように丸いんです。屋根を高くしてできるだけ明るくし、内外装に木の温もりを取り入れて、安心して落ち着ける空間を心がけました。「病院はイヤ」と受診を渋るお子さんの気持ちが、少しでも和んでくれたらいいなと思っています。