総合病院並みの診療科目が揃う医療村で、皮膚科・泌尿器科に精通したベテラン医師が、30年近く地域医療を担う
はじめに、古田先生が医師を志したきっかけと、開業されるまでのご経歴をお聞かせください。

もともとは工学部を志望していたのですが、二浪してしまいました(笑)。有名な予備校に通っていたのですが、周りには医学部を目指す生徒が多く、次第にその影響を受けて私も医師を目指すようになりました。
防衛医科大学校を卒業後、自衛隊中央病院の皮膚科で臨床研修を受け、その後は防衛医科大学校病院の泌尿器科に所属しながら、麻酔科や外科系の研修にも取り組みました。しかし私は、義務年限の途中で退官するという決断を下します。本来、防衛医大の卒業生は医官として9年間自衛隊で勤務する義務がありますが、当時私は第2期生であり、開校間もないこともあって医師としてのキャリアビジョンを明確に描くことが難しいと感じていました。泌尿器科の専門性を深めたいという思いが強まり、学位取得も視野に入れた結果、医官としての道を離れることを選択。地元・富山へ戻り、新たな一歩を踏み出すことにしたのです。
泌尿器科医としてのキャリアは、どこで積まれてきたのでしょうか?
富山医科薬科大学医学部(現・富山大学医学部)の泌尿器科教室に自らお願いに行き、当時教授を務めていらっしゃった片山喬先生のもとで学ぶ機会を得ました。現在でも泌尿器科の手術といえば内視鏡が主流ですが、当時は疾患によっては腹部を切開する手術も一般的でした。入局後は、富山大学附属病院で前立腺肥大症、尿路・尿管結石、膀胱がん、腎臓がんなどの手術を数多く経験し、術後の管理も含めて高度な泌尿器科診療に従事しました。
その後、同大学病院系列のあさひ総合病院(旧・朝日町立泊病院)に泌尿器科医長として勤務し、泌尿器科手術をはじめ、膀胱炎や前立腺肥大症、過活動膀胱といった排尿障害、膀胱がんや前立腺がんなどの悪性疾患も含めて、泌尿器科疾患全般を幅広く診療してきました。1989年10月に、「ラットの副腎とヒト副腎におけるカテコールアミンレセプタ」に関する研究で学位を取得しています。
地域の中核病院で重責を担ってきた古田先生が開業を決められたのには、どのような理由があったのでしょうか?
一言で言えば、病院勤務を続けるうちに、開業医のほうが自分の理想とする診療ができるのではないかと考えるようになったのが正直なところです。当院が位置するこの場所は、富山県が推進する新たなまちづくりの一環として整備された「かみいいの医療村」内にあり、2km圏内にさまざまな診療科のクリニックが集まっています。開業地を探していた際にこの医療村を紹介され、ちょうど私の出身地でもあったことから、1996年2月にこの地で開業することを決めました。
では、すでに30年近く、この場所で地域医療を担われてきたわけですね。
そうですね。当初から通ってくださっている患者さんも、私自身もだいぶ年を重ねましたね(笑)。現在、当院の皮膚科や泌尿器科に加え、整形外科、内科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、心療クリニック、調剤薬局がこの医療村内に揃っているため、地域の方々にとって利便性が高いのではないかと感じています。

